こんにちは。
ハンドレッド生活は満喫していますでしょうか。
私はNetflixで既に3周くらいしたのですが、こう何度も見ていると少し違った視点で捉えるようになってきて、アリーの「光の街」が我々の世界でいう「安楽死」に近いのでは?と思ったんですね。原作者がそのように考えていたかは不明ですが、勝手に思うところを書いていこうと思います。
そもそも「光の街」とは?
人口知能アリーが、「プライムファイア」という放射能の嵐が迫る地球で、人類が唯一存続する手段として作った別世界のことです。
最大の特徴は、光の街では痛みや苦しみが存在しない、ということ。特殊なチップを飲むことでその境地に達することができます。
「光の街」へ行くとどうなるか?
まずチップを飲むと脳がアリーの支配を受けることになります。
そして、これまでの肉体的・精神的な苦痛や思い出がすべて取り除かれます。例えばレイヴンは足の痛みやフィンとの別れによる苦しみから解放されました。
関連して、記憶からは大切な思い出も取り除かれます。しかし、本人は忘れている自覚すらないので、当人にとっての実害はないといっていいかもしれません。
では安楽死とは?
自分の意志によって死期を決めること。苦しみや痛みから解放されることを目的としている場合が多いです。
参考までに、よく安楽死とともに取り上げられる「尊厳死」とは、一般的には延命治療をしないこととされています。
「光の街」と「安楽死」の共通点と相違点
・共通点
今とは別次元の世界へ行くことで痛みや苦しみから解放されるという点。
・相違点
「光の街」では肉体の崩壊後も意識だけは生き続けるのに対し、「安楽死」は肉体と精神の両方で死ぬことになる点。
さてこの光の街、
一見、理想的な世界とも思えてきませんか?
苦しみのない、楽しいことだけの世界…。
少なくとも私は、自分だけの人生を考えたとき、一切の苦しみを味わわずに生きられるなら、これ以上の幸せはないんじゃないかと感じました。
もし光の街のような世界が実在したならば、私は迷わず飛び込んでいたかもしれません。
但し、このアリーが作り上げる世界には唯一にして最大の欠点があります。
それは…
「チップと飲むことの強要」です。
チップを飲んでアリーに言動を支配された人たちは、他者にもチップを飲ませようとします。光の街の人口を増やして、人類を救おうとするアリーなりの戦法なのですが、これがとんでもなく無理矢理なんですよね。チップを飲ませるためなら、誘惑・脅迫・殺人など、手段を選びません。
本来、「安楽死」や「尊厳死」といったものは自分の意志で選ぶもので、他人にその運命を決められてはならないはずです。他人に強要される安楽死なんて、それは人殺しと変わりませんから(笑)
ドラマの中で、
👩レイヴンは、フィンや足の苦しみから解放されるために、自らチップを飲みました。
👨ジャスパーも、飲み込んだカットはありませんが自分の意志で飲みました。アリーが消滅して、光の街から引き戻された彼が憤っていたことからも、光の街で生き続けることを望んでいたことがわかります。
👧クラークは、チップを飲むことを最後まで拒み続けました。プライムファイアを乗り越えられると信じて、その先の未来に希望を抱いていたからです。
このように、生き方についてはそれぞれの思いがあります。アリーの世界ではこの自由意志が尊重されなかったがために、反発を食らって最終的には消滅したのだと考えられます。
もしアリーが個人の自由意志を重んじ、光の街を望むものだけがチップを飲むのならば、クラークに彼らを止める権利はありません。それは我々の世界で安楽死や尊厳死を選ぶのと同じように尊重されるべきことなんじゃないかな、と思います。
まあ、日本じゃ安楽死も認められてないんですけどね!(てへぺろ)
それではまた。
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